荒川 豊蔵氏の 年譜について

荒川豊蔵(あらかわとよぞう)は昭和時代に活躍した日本の陶芸家で、彼の作品は国内外で高く評価されています。彼は人間国宝に指定され、また文化勲章も受章しており、その陶芸にかけた情熱と創造力が作品に込められています。

荒川豊蔵の作品は多岐にわたります。彼の代表作品の一つは志野焼です。志野焼は素朴な雰囲気を持ちながらも、釉薬の美しさや風合いが特徴となっています。荒川豊蔵は自然の風景や季節の移り変わりを描いた作品を多く制作し、繊細な絵付けと色使いが鑑賞者を魅了しています。

また、荒川豊蔵は瀬戸黒の作品でも優れた成果を上げました。彼の瀬戸黒は深みのある魅力を持ち、特徴的な釉薬の表情や光沢が際立っています。作品には豊かな色彩や細密な文様が取り入れられており、その美しさが観る人を引きつけます。

荒川豊蔵は自らの作品に陶印を刻むことでも知られています。陶印は作品の証として、彼の名前や特徴的なデザインが刻まれています。これは作品の正当性や作者の誇りを示すものであり、荒川豊蔵の芸術の一環となっています。

荒川豊蔵の作品はその技術と美意識が融合し、彼の陶芸への情熱と才能が光ります。彼の作品は国内外で高い評価を受け、日本の陶芸界において重要な存在です。その独自の表現と卓越した技術によって、荒川豊蔵の作品は多くの人々に愛されています。

荒川 豊蔵氏の 年譜について

1894年 明治27年 0歳
岐阜県土岐郡泉村(現在の多治見市高田町)で生まれる。
1900年(明治33年) 6歳
多治見尋常高等小学校に入学。
1906年(明治39年) 12歳
神戸の貿易商・能勢に就職。
1907年(明治40年) 13歳
多治見の陶磁器貿易商・木塚商店に就職。
1909年 明治42年 15歳
京都市丸太町の塾で英語、数学、漢文を学ぶ。
1911年 明治44年 17歳
多治見町上町の叔父荒川虎次郎の次女・志づ(13歳)と結婚。
1912年 明治45年 18歳
単身神戸に出かけ、親類の陶器商の仕事を手伝う。
1913年 大正2年 19歳
ヒ長男・武夫誕生。
神戸市に妻子を呼び寄せ、陶磁器の販売や行商を行う。
1915年 大正4年 21歳
名古屋の愛岐商会(旧・木塚商店)に再就職。
名古屋市東区に移り住む。
1918年 大正7年 24歳
長野県伊那郡横山村(現・伊那市)で採石採掘に従事。
1919年 大正8年 25歳
特殊過絵具で上絵付したコーヒー茶碗を作る。
京都の窯元・錦光山宗兵衛が破格値で買い取る。
錦光山窯の顧問、宮永東山を知る。
1920年 大正9年 26歳
長女・利子誕生。
1922年 大正11年 28歳
画家を志して上京するが断念。
宮永東山をたより、京都・東山窯の工場長になる。
1923年 大正12年 29歳
家族を呼び寄せ、東山窯の工場内に住む。
焼物に興味を深める
1924年 大正13年 30歳
北大路魯山人が星岡茶寮で使う食器研究のため、東山窯に1年ほど滞在、毎晩2人で陶芸談義を交わす。
1925年 大正14年 31歳
古陶磁研究会(京都・建仁寺で開催)に出席。小山冨士夫と知り合う。
母方の祖母・きわ死去。
会葬の翌日、叔父・清衛門の案内で、太平の古窯跡(現、可児市久々利)を見学。
帰路、青織部の破片を拾う。
次男・達誕生
1927年 昭和2年 33歳
鎌倉に建窯した北大路魯山人に招かれ、北鎌倉の星岡窯の工場長となり一家で転居。
窯場主任となり北大路魯山人の制作を助け、自らも作陶を始める。
母・なべ死去(享年52歳)
1928年 昭和3年 34歳
北大路魯山人とともに朝鮮南部の古窯跡を発掘調査する。
1929年 昭和4年 35歳
次女・陶子誕生。
1930年 昭和5年 36歳
横山五郎のはからいで北大路魯山人とともに(志野筍絵茶碗 銘 玉川)を実現する。
茶碗の高台に付着した赤い土に疑問を持つ。
美濃の牟田洞で筍模様の陶片の発見に成功。
志野・織部が瀬戸で焼かれたという通説をくつがえす。
以後、大萓・大平・久尻一体の美濃古陶を発掘調査。
星岡茶寮(東京・赤坂)で発掘した陶片を展示
1931年 昭和6年 37歳
父・梅五郎死去(享年66歳)。
これを気に多治見大畑に転居
1932年 昭和7年 38歳
鎌倉と大萓を往復しながら美濃古窯跡の発掘調査を進める。
大萓に陶房を造る
1933年 昭和8年 39歳
北大路魯山人の星岡窯をやめ、牟田洞陶房を築き初窯を焚く。
初窯は失敗に終わり試行錯誤を繰り返す。
1934年 昭和9年 40歳
新たに窯を築き、夏に初窯を焚く 。
3女・澄子誕生。
1935年 昭和10年 41歳
志野酒盃、瀬戸黒茶碗を北大路魯山人に見せ誉められる。こ
の作品が縁となり、大村正夫が発起人となって豊蔵作品の頒布会が始まる。
1936年 昭和11年 42歳
北大路魯山人、田辺加多丸らと丹波古窯跡を調査する。
星岡茶寮の進物用の灰落しの注文を受ける。
雑誌『星岡』70『美濃古窯 発掘の思い出』執筆。
1937年 昭和12年 43歳 
再び、北大路魯山人を後援するため星岡茶寮へ赴き、1年近く滞在。
1939年 昭和14年 45歳
信楽古窯跡を調査。
高橋楽斎窯で作陶する。
1940年 昭和15年 46歳 
川喜田半泥子と京都鳴滝の尾形乾山窯跡を調査。
1941年 昭和16年 47歳
大阪・阪急百貨店で初めての個展を開催。
1942年 昭和17年 48歳
川喜田半泥子の意見に賛同し、金重陶陽、三輪休雪と『からひね会』を結成。
1944年 昭和19年 50歳
金重陶陽の陶房を訪ね作陶。
1945年 昭和20年 51歳
岐阜・丸物百貨店で開催された郷土作家による『五風会展』に出品。
1946年 昭和21年 52歳
多治見の虎渓山永保寺所有の山を借り水月窯を始める。
石黒宗麿、小山富士夫らと『日本農村工芸振興会』結成。
1947年 昭和22年 53歳
水月窯の初窯を焚く。
1951年 昭和26年 57歳
金重陶陽の陶房を訪ね作陶。
1952年 昭和27年 58歳
『日本工芸会』設立準備(荒川豊蔵、 加藤唐九郎、石黒宗麿ら有志)。
1953年 昭和28年 59歳
瀬戸黒の工芸技術が無形文化財に認定される。
1954年 昭和29年 60歳
荒川豊蔵、加藤唐九郎、石黒宗麿、 加藤土師萌、金重陶陽、小山富士夫ら『桃里会』を結成。
1954年 昭和30年 61歳
『志野』『瀬戸黒』の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。
日本橋・三越で『荒川豊蔵作陶展』を開催。
1956年 昭和31年 62歳
裏千家茶道会館で『新しい陶芸の茶会』(金重陶陽、石黒宗麿、 加藤士師萌、荒川豊蔵、加藤唐九郎)開催。
シカゴ美術館主催『日本現代陶芸作家六人展』(荒川豊蔵、加藤唐九郎、 富本憲吉、金重陶陽、石黒宗麿、 加藤士師萌)に出品。
『日本工芸会』結成。 映画『志野』(日本映画新社)完成。
1957年 昭和32年 63歳
名古屋・松坂屋で『荒川豊蔵陶芸展』を開催。
1959年 昭和34年 65歳
『陶器全集 志野』(平凡社)を刊行。
1960年 昭和35年 66歳
名古屋・丸栄で『荒川豊蔵作陶展』を開催。
本阿弥光悦筆、俵屋宗達、鶴下絵『三十六歌仙 和歌巻』入手。
1961年 昭和36年 67歳
名古屋・松坂屋で『荒川豊蔵作陶展』を開催。
石黒宗麿、加藤士師萌、金重陶陽、小山富士夫らと『柏会』を結成。 妻・志づとの金婚式を水月窯で祝う。
1963年 昭和38年 69歳
新宿・伊勢丹にて『第1回現代名匠陶芸展』(荒川豊蔵、加藤唐九郎、富本憲吉、石黒宗麿、金重陶陽、加藤士師萌、濱田庄司ら)を開催。
チェコ・プラハで開催された『第3回国際現代陶芸展』で志野花入が金賞を受賞。
『日本のやきもの 美濃』(淡交社 小山富士夫著)を刊行。
オランダで開催された『日本の工芸作品展』に出品。
1964年 昭和39年 70歳
日本橋・三越で『大萓築窯三十年記念点』を開催。
1965年 昭和40年 71歳
土門拳(写真家)、勅使河原蒼風(華道草月流家元)が大萓陶房来訪。
勅使河原蒼風が黄瀬戸竹花入に生け土門が撮影。
名古屋・丸栄で『大萓築窯三十年記念・荒川豊蔵作品展』を開催。 紫綬褒章を受章。
1967年 昭和42年 73歳
『志野』(朝日新聞社)を刊行。
1968年 昭和43年 74歳
日本橋・三越、名古屋・丸栄で『荒川豊蔵作品展』を開催。
勲四等旭日小綬章叙勲。
妻・志づ死去(享年70歳)。
1969年 昭和44年 75歳
瀬戸市品野の古窯跡を調査。
1971年 昭和46年 77歳
名古屋・名鉄百貨店『荒川豊蔵作陶展』を開催。日本橋・三越『荒川豊藏染付赤絵展』を開催。
文化勲章受章と同時に文化功労賞として顕彰される。
多治見市の名誉市民に推拳される。
1972年 昭和47年 78歳
『陶磁大系 志野・黄瀬戸・瀬戸黒』(平凡社)を刊行。日本橋・三越で『喜寿記念荒川豊蔵作品展』を開催。
1973年 昭和48年 79歳
名古屋・丸栄『大萓築窯四十周年記念・荒川豊蔵展』を開催。
1975年 昭和50年 81歳
『現代の陶芸 四 荒川豊蔵ほか』編林屋晴三(講談社)を刊行。
小山冨士夫の告別式で葬儀委員長をつとめる
1976年 昭和51年 82歳
『私の履歴書』日本経済新聞社に連載。
『荒川豊蔵自選作品集』(朝日新聞社)を出版。
日本橋・三越、大阪・高島屋で『自選作品集出版記念荒川豊蔵展』開催。
1978年 昭和53年 84歳
日本橋・高島屋で『陶・漆・書・画 荒川豊蔵展』開催。
名古屋・丸栄で『奥村土牛・荒川豊蔵二人展』開催。
『日本のやきもの 現代の巨匠 六 荒川豊蔵』編九原英樹(講談社)刊行。
1979年 昭和54年 85歳
『黄瀬戸壺碑』除幕式を行う。
日本橋・三越で『美濃大萓古窯発掘五十年記念 荒川豊蔵展』開催。
大阪・京都・日本橋の高島屋で『荒川豊蔵画遊展』開催。
1980年 昭和55年 86歳
『陶芸の世界 荒川豊蔵』著磯野風船子ほか(世界文化社)を刊行。
映画『志野-荒川豊蔵』(日本経済新聞社)完成。
映画『荒川豊蔵』(金山プロダクション)完成。
名古屋・丸栄で『緑に随う 荒川豊蔵展』開催。
1981年 昭和56年 87歳 
『現代日本陶芸全集 六 荒川豊蔵』編吉田耕三(集英社)刊行。
1983年 昭和58年 89歳
清荒神清澄寺天堂改築落慶法要、軒燈を寄進、散華五葉を指毫。
『現代日本の陶芸 三 荒川豊蔵ほか』編林屋晴三(講談社)刊行。
『五窯で創る 人間国宝 荒川豊蔵展』宝塚市立図書館聖光文庫で開催。
岡山・高島屋で『卒寿荒川豊蔵展―清荒神清澄寺コレクション―』開催。
1984年 昭和59年 90歳
財団法人豊三資料館開館

1985年 昭和60年 91歳 永眠